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映画『アマデウス』のあらすじと感想を詳しく紹介します!!

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ネタバレ含みますのでご注意ください。

180分と長いですが、あっという間に見終わるパワーがあります。クラシックやオペラにさほど関心がない私でも楽しめた。

モーツァルトの生涯というよりも凡人が天才への嫉妬に狂わされた人生がテーマ。

とても強烈なインパクトを与えられました。

クラッシックに興味を持たせる構成になっていることから、モーツァルトの作品を聴きたくなります。

私自身好きな映画のベスト10に入ります。

そんな『アマデウス』のあらすじと感想を紹介します。

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あらすじ

アントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)は、かつてモーツァルトを死に追いやってしまった事をずっと心に引きづっていて、自殺未遂をして、病院の施設に隔離されてしまいます。

そこに、神父が慰問に訪れ、サリエリは、モーツァルトについての過去を話し始めます。

サリエリには音楽の道に進みたいという夢がありましたが、家族の理解がされていないことから、半ばあきらめていたところ、転機が訪れます。

父親が心臓発作で亡くなり、単身ウィーンに行くことを決め、後に才能が開花して、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世によって、宮廷作曲家の地位を得られるまでになりました。

神から与えられた才能に感謝し、懸命に努力して、いい仕事をしているつもりだった。

そんな中、大司教が主催するパーティーで、サリエリはモーツァルト(トム・ハリス)と出会います。

神童の誉れ高いと噂されていたとは裏腹に、この青年は天才を鼻にかけ、傍若無人に振る舞っていた。

でも、彼が作曲した音楽はとても優れていたので、演奏時間に遅刻してきた彼をクビにすることは出来ないでいた。

サリエリは、ウィーンに戻って、ヨーゼフ2世にモーツァルトの凄さを伝えます。

そして、ドイツ語のオペラをモーツァルトに作曲してもらうことを決めます。

オペラは、見事期待に応えるものだった。

モーツァルトは、なんとサリエリが想いを寄せているオペラ歌手に手を出していた。

そのことを知ったサリエリは、嫉妬します。

けれども、モーツァルトには、コンステンチェという意中の女性がいました。

その頃、モーツァルトの父である、レオポルトは大司教の下に訪れて、モーツァルトの非礼を詫びます。

レオポルトは、大司教の下に戻るように説得をしますが、モーツァルトは、コンステンチェと結婚してウィーンに住むことにしました。

サリエリは、ヨーゼフ2世から娘の家庭教師をモーツァルトにしようかと相談をうけるが、公平を期すために、審査を設けた方がよいと提案します。

サリエリは、モーツァルトが自分の存在を脅かすものであると感じていたので、阻止したのです。

モーツァルトは、家庭教師に付くために審査が必要である事に不満を抱きます。

それは、審査員が自分よりも音楽のセンスが無い人達だからです。

そんなモーツァルトとは裏腹に、生活に困窮しているコンスタンツェはサリエリの下を訪れ、モーツァルトの楽譜を持っていき、家庭教師の口添えを頼みます。

楽譜を見たサリエリは衝撃を受けます。

余りにも自分とレベルが違い過ぎていたからです。

サリエリは、モーツァルトの事を話しておくといい、その条件として、今夜またここに来る様に伝えます。

その夜、コンスタンツェは再び訪れて、服を脱ぎ、サリエリの要望に応えようとしますが、彼は何もせずその場を後にします。

オペラは、成功をお攻めていても、サリエリによるモーツァルトの悪い噂が広まり、中々生徒を持つことができないでいた。

そのため、次第にモーツァルトは、お金に困りだします。

サリエリにお金を打診してきたモーツァルトに、お客を紹介します。

しかし、そのお客は、部屋に犬を引き連れるといった音楽のセンスがなく、モーツァルトがピアノを演奏していると、犬が吠えだす始末。

プライドを傷つけられたモーツァルトは怒って出て行きます。

レオポルトは、モーツァルトが生活に困っていることを知って駆け付けます。

それと同時に、コンスタンツェが身ごもっている事を知ります。

モーツァルトは、レオポルトを引き連れて、舞踏会に遊びに行きます。

そこで繰り広げるモーツァルトのピアノによる余興は凄いものでした。

ちょうどそこに、サリエリも居合わせ、モーツァルトが彼をマネして、コケにされたことによって、敵意が芽生えだした。

サリエリは、モーツァルトの家に、雇ったメイドを送り込みます。

そこでモーツァルトが、ヨーゼフ2世が禁止をしている『フィガロの結婚』をオペラとして作曲していることを知る。

モーツァルトは、渾身の力で書き上げた『フィガロの結婚』について、ヨーゼフ2世に許可を得ることがすることに成功します。

サリエリは、臣下達と共謀して、モーツァルトを陥れようと画策します。

いざオペラが始まってみると、ヨーゼフ2世は退屈の余り、あくびをしてしまいます。

結果として、9回で取り止めとなっていまいます。

理由として、4時間にも及ぶ長時間のオペラは、ヨーゼフ2世には合わなかったということです。

しかし、サリエリは改めて、モーツァルトの才能に衝撃を受けるのです。

ある日、モーツァルトの下にレオポルトが死んだ報せが届きます。

父の悲しみから、『ドン・ジョヴァンニ』のオペラを書き上げます。

しかし、『ドン・ジョヴァンニ』の手ごたえはよくなく、5回で中止となってしまう。

だが、その中で唯一サリエリだけが、『ドン・ジョヴァンニ』の素晴らしさを理解していた。

それから、自分の才能に評価されないことへのストレスから、モーツァルトは酒に溺れて行った。

そんなモーツァルトの前に、マントを羽織り、顔をマスクで隠した正体不明の男が仕事を依頼しにやってきます。

そのマスクは、レオポルトがモーツァルトと一緒に舞踏会に行った時につけていたものと同じものだった。

マスクをつけた男は、『レクイエム』の作曲を高い報酬を提示して頼んだのです。

モーツァルトは、彼を見た瞬間から死神だと思い込みます。

これは、精神が弱り切っていたモーツァルトを追い込むためのサリエリが行ったことで、この依頼した『レクイエム』をモーツァルトの葬儀で流すといった目論みだったのです。

モーツァルトは、生活のために大衆オペラの作曲に取り掛かろうとするが、仕事の割には収入が少ないことから、コンスタンツェは乗り気ではない。

『レクイエム』に取り掛かり、常軌を逸しているモーツァルトの姿に限界を感じたメイドが、サリエリに辞めたいと頼みます。

コンスタンツェが寝ている間にモーツァルトは、ストレス発散を目的に外へ繰り出します。

しかし、帰ってみたら、コンスタンツェは子供を連れて、家を出てしまいます。

そして、モーツァルトは大衆オペラの作曲に取り掛かります。

出来上がったオペラは、観客から拍手喝采の賞賛をうけます。

そこで、モーツァルトは、疲労から演奏の途中で倒れてしまいます。

鑑賞にきていたサリエリが家まで運びます。

ドアのノックを何度も叩くのが、『レクイエム』の催促をする死神だと思ったモーツァルトは、サリエリに追い返して欲しいのと頼みます。

しかし、訪ねてきたのは、死神ではなく、大衆オペラの人達がモーツァルトの取り分持ってきてくれたのです。

それをサリエリは、死神が持ってきたことにして、明日の晩までに、『レクイエム』を完成させてほしいと嘘を言い、追い込みます。

意識がもうろうとしているので、サリエリが楽譜を代筆し、『レクイエム』の制作にかかります。

家を出ていたコンスタンツェは、急に胸騒ぎを感じて、戻ってきた。

青ざめた表情でベットに横たわるモーツァルトの姿を見て、この原因が『レクイエム』であるとして、サリエリから楽譜を取り上げます。

そしてしばらくして、モーツァルトは息を引き取っていました。

大胆な解釈が秀逸

アマデウスとは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのこと。

彼は35歳の若さで亡くなり、死因に関しては、『暗殺ではなかったか』といった様々な説を生み、その一つを違った角度から捉え解釈したところが面白い。

まず、意表をついたのが、モーツァルトを悪気はないが品がなく子供っぽい女たらしの青年に仕立てたこと。

あの、突出した美しい音楽の作曲家ともなれば、それにふさわしい美しく高貴なイメージを想像。

だから、なんとなくデリケートな天才肌の素敵な人物に思っていた。

学校の音楽室の肖像画も影響が大きい。

ところが、それとはまったくの真逆の粗野なヤンチャ坊主にしてしまった。

何とも大胆な発想。モーツァルトは、こんな男だったのか?

そのような疑問は起きますが、心が美しい人間でなければ、美しい作曲が出来ないという理由はない。

それは、単に穿った先入観に過ぎない。この仮説をユーモアとして受け入れると、風刺のきいたお話を楽しめる。

後は、宮廷という場所を会社に見立てた設定。

誰もが見ていて身近なものなので共感が持てるはず。

独善的で無知な皇帝が社長。

波風を立てぬよう立ち回る宮廷作曲家たちは、まるでワンマン社長に媚びをうる、太鼓持ちの中間管理職のようで面白い。

嫉妬深いサリエリに自分を重ねて見てしまう

この物語の主人公はサリエリ。

モーツァルトの才能や奔放な生き方に憧れを抱きつつも嫉妬し、次第に常軌を逸していく。

人間の一番醜い部分があらわにしているので、背筋が寒くなるのを覚えました。

誰の心にも棲みつく嫉妬心や自尊心をえぐるエイブラハムの芝居は見事ですね。

サリエリの思いは、彼特有のものでなく、誰もが抱く、才能・容姿・性格など他人に対して思う普遍的な問題を投影している。

私自身もそうですが、自分に対してコンプレックスを持ち、常に人と比べてしまい、自信が持てない部分があります。

だからサリエリの気持ちはよく解かる。

努力だけでは越えられない壁を目のあたりにして絶望。そして、嫉妬から殺意をいだき復讐。

それ故、ラストでサリエリの笑い声が「天才」モーツァルトの狂気じみた笑い声にリンクする。

反対にモーツァルトはまさに悲運の人っていう色彩が濃く浮かび上がった。

最も印象に残っている場面は、モーツァルトとサリエリがレクイエムを綴るシーン。

モーツァルトはサリエリに対し、きっと真の友を得た気分だったように思う。

それは友などではなく、敵であるわけですが、それとは無関係に、生涯において唯一音楽を通して理解できる人間が現れたことは事実。

サリエリは嫉妬し憎みながらも、モーツァルトの圧倒的な才能に惹かれる。

彼が虚ろになりながら伝えるメロディーを夢中で楽譜に書き留める。

この2人の鬼気迫るシーンは凄いとしか言いようがない。

サリエリも一般人から見れば充分才能がある音楽家でちゃんとした社会人。

だから、歯痒くてしょうがない。

モーツァルトがサリエリを真の理解者として死んでゆくところに救いがあった。

サリエリのせいで、モーツァルトは死んだとは思えない

この『アマデウス』は、32年後のサリエリが、ラストで神父に語るように、凡人が天才に対する嫉妬と苦悩を悲劇的に描いたもの。

しかし、本編においてモーツァルトは、ヨーゼフ2世から意外に、評価がされていない。

サリエリがモーツァルトに触発されて作曲した分かり易くいオペラの方が、ヨーゼフ2世を含めた音楽的センスに乏しい宮廷貴族には受け入れられていた。

『フィガロの結婚』よりも絶賛されていた。

モーツァルトの音楽は、一般庶民の間では、パロディーが作られるほどの親しまれていたが、頭の固い貴族たちには、先見性がないので理解できないと描かれている。

でも、モーツァルトのような音楽センスがなくても、サリエリだけが彼の才能を認めていたのだ。

私は、どうしてもサリエリが、哀れに思えてならない。

モーツァルトの音楽においては、唯一最高の理解者で、鑑賞者としては、本質を見極める天才であった。

だから、サリエリはモーツァルトが生み出す音楽を意識し、挑戦するも自分の限界を感じていた。ただの凡人であったと悟ると、嫉妬がやがて怒りとなり、最終的には殺意を抱いてしまう。

果たして本当に、モーツァルトをサリエリは殺してしまったのか。

サリエリはモーツァルトが死んでからずっと悔やみ続けるが、例えいかなる状況であっても、最終的な結末は、モーツァルトが『レクイエム』を完成させるために、自らの命を削って燃え尽きたと思う。

モーツァルトと一緒になって、『レクイエム』誕生の瞬間を立ち会えたことは、サリエリにとってはこの上ない幸福であったはず。

ようやく分かち合えたのも束の間、モーツァルトの死によって、この感動と興奮を味わうことが出来なくなってしまった。

だから、憎んでいながらも尊敬していたモーツァルトを自分の手で死に追いやってしまったことに後悔を続けているのもわかります。

まとめ

モーツァルトの名作が至るところに使われ、見ると曲を無性に聴きたくなる。

幼い時からの英才教育により、音楽的才能に磨きがかかり、音楽の為に生まれたような人。

その為、一般常識や社会性に欠け、無神経な言動で周囲に不快感を与えても気づかない。

天才と呼ばれる人は、常識では考えられないどこか人と違い、ぶっ飛んだ感性を持っている。

人格に問題ありの天才は客観的にみると凄く嫌な奴なのに愛嬌たっぷりで笑うと憎めない。仕草の端々にこの天才の幼稚さ明るさを表現している。

トム・ハルスだからこそ可能にしたモーツァルト。

栄光と転落の対比がわかりやすく、天才ゆえの葛藤や苦労もイメージでき、観ると心が成長できる作品です。

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© 2023 名越三郎太のブログ