映画

クリント・イーストウッド主演『ダーティハリー』のあらすじと感想

スポンサーリンク

ネタバレ含みますのでご注意ください。

ハードボイルド映画の傑作!!

スティーブ・マックイン主演の『ブリット』と並ぶ刑事アクション映画の金字塔。

若き日のイーストウッドは、とにかく文句無しに格好いい。

悪党に対し、44マグナムを容赦なくぶっ放す冷酷無比なハリーは、その後のイーストウッドのイメージを決定づけた。

そんな『ダーティハリー』のあらすじと感想をご紹介します。

スポンサーリンク

あらすじ

動画はこちらです。 ↓ ↓ ↓ ↓

サンフランシスコのとあるビルの屋上からプールで泳いでいた女性が、何者かに狙撃された。

捜査を担当するのは、サンフランシスコ市警捜査課のハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)

通称「ダーティハリー」と呼ばれる敏腕刑事である。

狙撃地点にメモが発見される。

それは、犯人からの挑戦状で、サンフランシス市長に10万ドルを要求し、応じなければ、新たな犠牲者が出るとされ、狙うのは牧師か黒人と告げられていた。

犯人はスコーピオンと名乗っている。

ここからスコーピオンとハリーとの闘いが幕をあけるのである。

市長は支払いを引き延ばし、次の犯行を防ぐために、市内の高層ビルに多数の警察官を配置する。

警戒中のヘリコプターが不審人物を発見するが、逃がしてしまう。

そして、第二の事件が起こる。
犠牲者は黒人の少年だった。

ハリーは、犯罪者心理から再び犯人が犯行現場に現れると睨んで、屋上で待ち伏せする。

思惑通り、スコーピオンが現れ、ライフルによる狙撃とマシンガンによる激しい銃撃戦となるが、スコーピオンを逃がしてしまう。

再び市長あてに脅迫状が届く

14歳の少女を誘拐したから、20万ドルの身代金を出せという要求で、ハリーは脚にナイフを仕込ませ、20万ドルが入ったバッグを抱え、スコーピオンの指示通り、公衆電話から公衆電話へ移動し、走り続ける。

相棒のチコ・ゴンザレス(レニ・サントーニ)は車で、後をつけている。

指定した場所に着き、スコーピオンは、ハリーに銃を捨てさせ、なぶり殺そうとするが、そこへ、チコが駆けつけて銃撃戦となる。

チコは負傷してしまうが、ハリーが足に仕込んでおいたナイフをスコーピオンの太ももに突き立て、スコーピオンは足を引きずり逃走する。

足を負傷した若い男が病院に来たと警察に連絡が入り、スコーピオンの潜伏先が判明する。

潜伏先のスタジアムで、スコーピオンを追いつめて捕らえた。

しかし、ハリーは傷を負っている男を拷問し、ミランダ警告を無視した逮捕と自白強要が違法とされ、地方検事から逆に告発され、スコーピオンは釈放されてしまう。

やがて、スコーピオンは新たな犯行に出る。

スクールバスをハイジャックし、人質もろとも空港へ直行し、警察に逃走用の飛行機を要求した。

謹慎の命令を無視したハリーは、橋の上から走行するバスに飛び乗り、採石場に突っ込んだバスから逃走したスコーピオンを追いつめ、ついに射殺する。

ハリーは、胸のポケットから警察バッジを川に投げ捨てた。

刑事もののスタイルを確立したストーリー

内容は至ってシンプル。

派手な撃ち合いや決闘があるわけでもないけど、引き込まれてしまう。

それは、単なる人がバタバタと数多く死んだり、建物を意味もなく沢山爆破したりするだけの中身がスカスカなアクション映画ではなく、きちんとストーリーが描かれていていることが大きい。

本作のテーマは、最初のセリフでハリーがつぶやく『ジーザズ』である。

本編では、教会・十字架といったキリスト教のシンボルを明示すことで、「世の中、神も仏もあったものじゃない」と伏線を張っている。

では、神が人を救うことが出来ないのなら一体何が人を救うのか?

それが、法によるものだけど、スコーピオンは、法によって逆に守られてしまう理不尽さにハリーは打ちのめされてしまう。

彼は、己の職と命を賭けて、自ら悪に対して鉄槌を下す。

まさに、ダーティーな役目をハリーは一手に引き受けたことになる。

それは、人間の非道な所業は、例え法であっても、太刀打ちすることができない。

対等に闘うには、人間の暴力のみという現実が、虚しさを物語っている。

ハリーは民衆を信じ、法に対しての怒りをこめ、バッヂを投げ捨てる。

決して難解ではないけど、奥が深いですよね。

ちなみに、この手のアクション映画は、好きでよく見るけど、正直見るのが辛くて、クライマックス手前で、止めてしまうケースもよくある。

最後まで鑑賞しても、何だか疲れが出てしまう映画が結構多い。

やっぱり、単なるアクションが凄いというだけの映画は疲労感が蓄積していくのだなと思う。

それに比べてというか、レベルが違い過ぎて、比較してはいけないけど、今作は素晴らしいと再認識させられた。

容疑者を逮捕する際、告知するミランダ警告とは?

野球場で、ハリーがスコーピオンを追い詰め、拷問するシーンがあります。

ここで、ハリーは「お前には黙秘権がある」と本来なら言わなければいけません。

現に言わなかったために、スコーピオンは、釈放されてしまいますよね。
これをミランダ警告といいます。

[box class="yellow_box" title="ミランダ警告とは"]
1. あなたには、黙秘権がある。
2. 供述は、法廷であなたに不利な証拠として用いることがある。
3. あなたは、弁護士の立会いを求める権利がある。
4. 公選弁護人を付けてもらう権利がある。[/box]
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=hF5-6wkBGww

アメリカでは、これらの4項目を警察官が容疑者を逮捕する際、告知しなければいけないと1966年から義務付けられた。

被疑者に告知されていない状態での供述は、公判では証拠として採用されない。
それを言わなかったことで、実際に裁判で無罪になったケースがある。

それが、ミランダ対アリゾナ事件。

誘拐罪などの罪で、有罪判決が下ったアーネスト・ミランダに対し、逮捕時に権利が説明されていなかった為、判決が破棄され、無罪となった。

アメリカでは、いくら映画とはいえ、刑事の原動について、大論争がされたとのこと。

スコーピオンのモデルとは?

スコーピオンの設定は、サイコパスの殺人鬼というリアルティーが非常に怖い。

このスコーピオンには、モデルがいます。

映画が公開された71年当時のサンフランシスコでは、連続殺人事件が発生。

犯人は『ゾディアック』と名乗り、警察や新聞社に手紙を送り、犯行の予告を行っていた。

この『ゾディアック』が企画の発端になり、西部劇のガンマンだったら、得体のしれない殺人犯を倒せるのではないかというところから生まれた経緯があります。

スコーピオンの殺人は、理由や動機が最後まで、明確化されていない。

それは、ミランダ警告にもある通り、人権を無視した警官の暴力は、行き過ぎであると、人権弁護士の人達の意見が出た背景から、スコーピオンを目的意識がない殺人マシーンとして描くことから、ハリーが行う拷問も正当化した。

まとめ

『ダーティハリー』は、シリーズ化され、全5作になる。

個人的には、正直いって、続編はいらないかな。

スコーピオンを倒して、バッジを池に捨てて去って行くハリー。

通常ならば、これで完結でしょ。

映画・TVドラマ含め、後に出てくる刑事アクション系の作品に観られる定番演出は、全てこの「ダーティーハリー」の中でやり尽くされている。

シリーズ化しなくても、後発は全部続編みたいなものです。

黒澤監督『用心棒』の未許可で映画化した「荒野の用心棒」で、男を上げたイーストウッドの脳裏にあったのは、アメリカ人としての『用心棒』の主人公・桑畑三十郎を再構築する思いがあったから、西部劇を下敷きとして企画された『ダーティ・ハリー』に参加したのだと思う。

監督業も、自ら主演してのアクション系から、黒澤監督のような重厚な作品にシフトし、ミリオン・ダラー・ベイビー』や『硫黄島からの手紙』を制作している。

80歳を過ぎた現在でも、現役で映画を作り続けていることは凄い。

イーストウッドは、本当に生粋の映画人なんだなぁーと思う。

スポンサーリンク

© 2023 名越三郎太のブログ