ネタバレ含みますのでご注意ください。
小学生の時、映画館で観ました。
夏休みの宿題で、映画の感想を作文で書きましたね。
公開された昭和58年(1983年)の夏休みといえば、『南極物語』を観ることと、開業した『東京ディズニーランド』に行くこと。
当時、小学生だった人は、私と同じ経験した人多いんじゃないかな。
今ではTV局が、映画を製作するのは珍しくないけど、その草分け的な作品。
かつての勢いが想像つかないけど、フジテレビが一番活気づいていた時代。
連日、これでもかというぐらいにタロとジロ一色だった。
メディアミックスを利用したはしりです。
邦画において、アニメ以外では、『踊る大捜査線/レインボーブリッジを封鎖せよ』まで、興行成績61億円の記録は抜かれることがなかった。
参考:https://ja.wikipedia.org/wik/南極物語
自然の厳しさと脅威の中で描かれる人間と犬との絆。
その犬たちを見捨ててしまったことへの後悔。
この映画で受けた感動は今見ても色褪せない。
そんな『南極物語』のあらすじと感想をご紹介します。
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あらすじ
動画はこちらになります。 ↓ ↓ ↓ ↓
1956年(昭和31年)南極地域観測隊第一次越冬隊は、南極に設置された昭和基地において1年以上に渡る南極観測の調査をしていた。
1958年(昭和33年)2月、第一次越冬隊が第二次越冬隊と交代するとなった時、悪天候のため、観測船『宗谷』は昭和基地に接近することができないでいた。
そんな状況下『宗谷』からの飛行機が基地に到着し、速やかに基地から退去せよと命令が下り、第二次越冬隊の上陸も断念する。
犬係の潮田暁(高倉健)と越智健二郎(渡瀬恒彦)は、なんとか飛行機を飛ばして犬たちの救助の要請を『宗谷』の船長に頼むが、身動き取れない状況で長居していたら『宗谷』が氷に閉じ込められてしまう為、苦渋の決断により、カラフト犬15頭を置き去りにする。
日本に戻った潮田は、北海道大学の職を辞め、南極に置き去りにしてしまったカラフト犬の飼い主たちに謝罪をして歩く。
その中で、「なぜ、犬たちを見殺しにしたのか」とリキの飼い主であった志村麻子(荻野目慶子)は詰め寄る。
潮田が飼い主に謝罪して歩いていることを週刊誌の記事で知った越智は、同じように犬たちを置き去りにしたことにずっと負い目を持っていた。
その頃、南極に残された取り残された犬たちは、生き残るために必死に行動をしていた。
7頭は悪戦苦闘して首輪に繋がれたまま死亡した。
自力で首輪から脱出した8頭は食物を求めて走り回る。
かつて、潮田や越智を乗せてソリを引いて行った『ボツンヌーテン』へ。
彼らは集団でアザラシを襲うことや、凍っている氷の塊の中にある魚を砕いて食べ凌いでいた。
そんな犬たちも、氷の海に足を滑らせて落ちて死んだり、シャチと闘って死んだりしている。
潮田と越智は、日本で新たに第三越冬隊が編成される情報が新聞を通じて知ることとなる。
二人は再び志願して、南極へと向かう。
早速、昭和基地に乗り込んだ彼らが目にしたのは、鎖に繋がれたまま死んでいる犬たちであった。
辛い現実を突きつけられた矢先、近くの丘の上に2頭の犬がいることに気づく。
タロとジロである。
タロとジロは、彼らのところに駆け寄り、抱きしめるのであった。
生きることの厳しさを思い知らされる
本作の主人公は間違いなく、止むを得ず、人間の都合で置き去りにされ、必死に生き抜き、又は死んでいったカラフト犬たち。
そして、神秘的で気高い南極大陸の自然です。
凍てついた真っ白な氷原を走る犬たちの姿は、胸を打ちます。
まず、映画のテーマは「なぜ、犬たちを連れて帰ってくれなかったのか?」
子供が見ても、わかりやすく描かれている。
越冬隊員たちの姿が突如消えてしまい、鎖を力づくで、引きちぎり、自由を得ていく犬たちの賢さとたくましさが心に突き刺さる。
その一方で、自由になることなく命を落としてしまった犬たちもいる。
この落差が、リアルで目を覆いたくなる場面。
その為、捉え方によっては、残酷と思うのは当然かな。
ラスト、生き残ったタロとジロが、潮田の呼び声で思い出し、喜びいさんで全速力で走り寄って、感動の再会を果たす。
生き残ってくれたタロ・ジロに対する感謝の思いと同時に、失われた仲間たちの死を目の前にして乗り越え、生きることに対する敬意が、このシーンにすべてが集約されている。
生きることの厳しさを代弁し、勇気づけられます。
やはり高倉健は最高です
高倉健が、寡黙で不器用な人物・潮田を演じている。健さんの迫真な演技にくぎ付けになる。
なにをやっても本当にサマになっていてかっこいいですね。
小学生の時に観て感じたことは、犬たちを南極に取り残してしまったことに対する思いや葛藤が、余計な場面としか当時は思えなかった。
それを丁寧に描いたからこそ、タロとジロに再会したときの雄叫びと感極まった健さんの表情を見ていると、ヴァンゲリスの音楽が効果をもたらして涙腺崩壊。
さすが、いい演技するなぁーと感動。
後、印象に残るのが、カラフト犬たちを置き去りにすることが決断された時、健さんが毒を取り出し「殺してきます。ほかに責任をとる方法がありますでしょうか」と言った場面。
健さんのやるせない表情がすべてを物語っている。
そんな健さんの寡黙な演技が好きですね。多くの台詞なんて健さんには要りません。
健さんは『八甲田山』でも厳しい自然環境の中、ストイックに追い込み演技に打ち込む姿勢は、改めて大物俳優の風格を感じました。
犬たちを置き去りにしたことに捉われないで
大人になった視点で見返して気づいた事は、第一次越冬隊は、昭和33年当時の日本の状態からすると、大いなる挑戦であったことがわかる。
『宗谷』はお世辞にも立派な船とはいえず、犬を救えぬまま断念し、氷海を離脱しなければならなかったのも、当時、目一杯背伸びしていた日本にとっては、悲しい現実。
犬たちを置いていかざるを得なかった状況を鑑みると責めるのは難しい。
犬も人間と同じく嬉しければ素直に表情に出す。
その様子は、過去に負い目を残す人たちの心を癒すもの。
私もかつて、犬を飼っていたことから、微妙な心の機微はなんとなくわかる。
そもそも、つながれた鎖から首輪抜けをした犬たちの足取りが、映画と同じであったはずがなく、これはあくまでも実際の出来事を元にしたお話に過ぎない。
南極観測の歴史を知れば、素直に感動できると思う。
潮田と越智が走り、タローとジローも走って来る。
雪上で犬と抱き合うラスト。#南極物語 #渡瀬恒彦 #高倉健 #タローとジロー pic.twitter.com/SDQYmJv5gQ— 斉藤一博 (@fns124) 2017年8月22日
まとめ
子供の頃に観た時も感動したけど、タロとジロの再会シーンは何度見ても胸に迫るものがありますね。
本作を見て感じたのは、恐怖に打ち勝ち、新たな世界を切り開くということ。
鎖に繋がって待っていれば、いつか人間が助けに来てくれるだろうと思っていた犬たちは餓死し、「このままじゃダメだ!」と奮起し、自分の足で走った犬たちは、生き延びるという残酷なまでのサバイバル物語だったということに驚愕した。
いい意味で、痛烈なリアリティーを突きつけられた。
自分に置き換えると、色々と学ぶべきことが多いですね。