スポーツ、芸術や音楽については、子供のころに始める方が身に付きやすいのでしょう。
科学的な根拠についてはともかく、「三つ子の魂百まで」とは古くから言われていることです。
英会話についてはどうでしょう?
主観的になりますが、紹介をしていきます。
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小学校における英語教育
私は中学に入って英語を始めました。
今では小学校でも英語の勉強を取り入れていますね。
義務教育としてなのか、たまに外国人の講師を教室に来てもらってお話してみるというレベルなのかについては把握していないです。
小学四年生の私の甥っ子は、週に一度くらい外国人の先生が来て英語を話していると言ってます。
おそらく大人になっても「そんなこともあったなー。」という程度の思い出としてしか残らないのでしょう。
それが悪いわけではありません。外国人と触れ合うことは良いことになり得ます。
よほど子供にトラウマを残さない限りは、しないよりかはマシなのは確かでしょう。
しかし教育としては、浅はかな発想としか思えません。
小学生の教諭が英語を教える資格を持ち、且つ「子供のころから英語に慣れさせれば日本人の英語能力向上につながる。」という志を持っているでしょうか。
なんとなく学校が決めるスケジュールをこなしているだけでしょう。
習い事としての英語教育
小学校とは別に、習い事として子供を英会話教室に通わせることはどうでしょう?
公立の小学校の無責任な英語教育よりは、よりプロフェッショナルな学習方法が取り入れられていると思いたいです。
しかし、実際はどうでしょう。
それなりの英語能力を養わせるには、それなりの教室に通わせる必要があります。
知人の子供は、This is my pen. や、That is my hat. くらいの英語を絵を見ながら練習しているそうです。
aや theといった冠詞を使わない表現を使っているのは流石だなと思いました。
誰が幼稚園児や小学生にaやtheの使い分けを正しく理解させることができるでしょうか。
そんなことは中学校でやらせます。
つまり、結局中学校で文法という壁にぶつかることには何ら変わりはないのです。
通わせるなら、真にプロフェッショナルな教室にしたいものです。
おすすめ
分かりやすいところで言うと、ディズニーアニメを見せることです。
最初は、日本語吹替えで見せます。
そして、親だけで見るときは音声は英語、日本語字幕にして見ます。
これを、子供に気付かせることがポイントです。
子供が寄ってくると、「ああ、ごめん。英語は分からないから日本語にしようね。」と言って日本語吹替えに戻します。
子供は、大人がすることをマネしようとしますし、「できないこと」をできるようになりたがります。
この心理を利用して、まずディズニーは外国のアニメであるということ、その国では日本語ではなく英語が話されているという発見をさせることができます。
これは、何の背景も説明せずに「英語を話せる方が将来役に立つから。」という意味不明の理由で、目の色が青いティーチャーの言うことをリピートさせられることより、よっぽど自主性を引き出すことができます。
自分から学ぼうとさせることが最も楽です。
教えなくてもどんどん吸収していく年代です。このことを利用する方法です。
日本語の特殊性
私には、外国にいわゆる日本人のハーフの友人が何人かいます。
外国に生まれ、育った彼らの多くは、両親の内一人が日本人であるにも関わらず、日本語があまり話せない、言っていることは分かる、若しくは、ある程度は話せるが読み書きはできません。
もちろん、日本語を流暢に話し、読み書きもできるという外国育ちのハーフの友人もいます。
彼らが口を揃えて言うのは、「子供のころは言語能力の発達が遅かった。」ということです。
これは、英語能力が低かったわけでも日本語能力が足りなかったわけでもなく、両方を同時身に付けていたので、子供のころは一時的に英語なり他の言語の発達が比較的遅くなったためだそうです。
時間は有限です。英語を学ばせるということは、その時間を日本語の勉強をさせないということになります。
日本語はただでさえ難易度の高い言語です。
日本語の習得をおろそかにしても、母国語以上のレベルで外国語は話せません。
また、言語は思考能力に大きな影響を及ぼします。稚拙なボキャブラリーしかない人は、それなりの思考しかできません。
まとめ
「子供のころから英語を学ばせれば英語を話せるようになる可能性がある」という発想は間違いではないでしょう。
ただ、中学校から始めるはずの英語を幼稚園や小学生から始めさせることで、何がどのように改善されるかを考えた上で教育をしたいものです。自分自身の信条はありますか?