英語

英会話学習におけるネイティブスピーカーの必要性とは?

国語学習においてネイティブスピーカーとのコミュニケーションはとても大切です。ネイティブスピーカーとは、例えば英語を母国語とする人と定義します。

日本人講師から英語を教わっても、「イマイチ本当に使えるのか不安」「発音やイントネーションはやはりネイティブから教わる方が身に付くのでは」と考える人は少なくありません。

また、「ネイティブの恋人を持つことが一番の外国語上達方法」とよく耳にします。

実際はどうなのでしょう?例えばアメリカで現地の教育を受けたり、日本でアメリカ人の恋人と付き合っている人、つまり、ネイティブスピーカーと話す環境に身を置いている人と、日本生まれ日本育ち、週に一度日本人講師に英会話を教わっている人のどちらが英会話に長けているのでしょうか?

どんなネイティブと話すか

例1

例えば、日本在住のイギリス人家庭に通って毎日3時間五歳の子供のベビーシッターをするとしましょう。毎日ネイティブと三時間も話すことになりますね。

英語能力は上がりますか?

ネイティブの五歳児の英語レベルまでは上がるでしょう。

その程度の英語レベルで何ができますか?

お腹が空いた、ジュースが飲みたい、お絵かきがしたい、テレビゲームがしたい、と言えます。

例2

では、最近アメリカから転校してきた中学生帰国子女はどうでしょう。

大人が使うような表現は勿論、スラングなんかも使います。

バイトくらいなら通用する英語が話せます。

気の利いたジョークや、皮肉なんかも言えるでしょう。

こんな中学生と仲良くなって、毎日のように放課後をともに過ごす。

もちろん英語で話します。

どうでしょう?

こうして身に付けた英語が活かせるのは、何に活かせるでしょうか?

海外旅行を楽しむくらいでしょうね。

あとは、外国人観光客の相手をするボランティア、運が良ければバイトとかですかね。

つまり仕事はおろか学問の世界でも通用しません。

例3

こんな場合はどうでしょう?

アメリカの有名な新聞社に勤めるジャーナリストと出会います。

そのジャーナリストは日本に興味があることをきっかけに仲良くなり、週に2、3回は会うようになります。

そのジャーナリストは、いろいろなことについて話してくれて、アメリカの情勢について説明してくれて、二人で意見交換をして、日本のことについて説明してあげたり、云々。

このような場合は、飛躍的に英語能力は伸びます。

ある程度のレベル以上のジャーナリストや大学教授は、物事を説明するプロです。

この種の職種のネイティブと話すと、それなりの言葉と接することができます。

その結果、事実関係、考察、推測が判別できる、論理性のある表現ができるようになる、云々。

ただ、こんなに出会いがあるとは限りません。

例4

ネイティブが集まるイベントに参加し、一般的なネイティブと友達になるとします。

相手は日本に来て間もないので、いろいろと世話を見てあげる代わりに週に一時間はカフェで英語を教わるとしましょう。

自分が日本語を教えてあげるとしたら、どの程度の日本語を教えてあげられる自信がありますか?

ネイティブと話して上達する程度は限られている

以上の例で分かるとおり、ネイティブと話したからといってビジネス英語が身に付くわけではありません。

日常会話、趣味について、週末の過ごし方について、なんとなく話せるようにはなるでしょう。

あなたの知っているネイティブは、語彙や話す速度をあなたに合わせて話してくれているものです。

また、ネイティブと話すことだけで英語を学ぼうとするなら、その相手が話す英語以上の英語は話せませんし、自分の日本語以上のレベルの英語が話せないことは言うまでもありません。

情報を活用してネイティブ英語に触れる

アメリカにいてもアメリカ人の友人を一人つくるのに大変な苦労をしたりするものです。

ネイティブの友人がいることに越したことはありません。

それと同時に、独学しながら、または日本人講師のクラスを受けながら、洋画や本SNSを活用すれば容易にネイティブの英語に触れることができます。

あとは、自分で目的や目標をもって、それを意識して学ぶ、そしてそれを継続すれば英語力は伸びます。

英語の多様性と国際性

知人がこんなことを言いました。

「子供を英会話学校に通わせているのだが、その学校の方針として、日本人とは英語を話させないことになっている。

間違った発音をしてしまうようになるからだそうだ。」

バカげています。英語は世界の共通言語です。

「ネイティブ」でない人とも英語で話せるのが英語の素晴らしい点です。

それなのに、間違ったネイティブ絶対視のために、英語圏以外の、いや、ややもすればオーストラリアの英語なんかも認めないということになるでしょう。

「インド人の話す英語なんて英語じゃあない」英語を話せることイコール多数派の英語圏の人間に属するつもりになって、同じ英語を話さない人を見下すことであってはいけません。

外国語を話すということは、言語の違いを超えて国際的になるということです。

ネイティブでない人が決して上手でない英語を話していても耳を傾けてあげるのが国際人というものです。

まとめ

昔、私がまだ英語をうまく話せなかったときに、あるアメリカ人に「英語があまり話せなくてごめんね。」と言うと、そのアメリカ人は、「私こそ日本語を話せないんだから気にしないで。」と答えたことを覚えています。

英語のネイティブスピーカーたちの中で、うまく英語で意見を言えなくて疎ましい顔をされたことも確かにあります。悔しい思いや、恥ずかったことなど数知れません。

ネイティブのように英語を話せることは素晴らしいことです。

ただ、世界にはいろんな人が、いろんな事情で、いろんな環境で暮らしています。

アメリカのある州で話されているような英語が話せない人の方が多数派でしょう。

むしろ国際的であるということは、言語能力だけでなく、人間性が問われていることを忘れたくないものです。

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