ネタバレ含みますのでご注意ください。
『人魚伝説』は最初、何の予備知識もない状態で観たので、強く衝撃を受けた。
タイトルからして、邦画によくある「かったるい残念な映画」だと思っていたらとんでもない。
『キル・ビル』も真っ青な、ハードバイオレンス巨編。
万人受けするような内容でないことから、知る人ぞ知るカルト映画で、コアなファンが多い作品。
仮にリメイクで、同じことをヤレといっても、ガキや小娘が演じる学芸会の延長のような映画に満足している客層が、現在の邦画を支えていることから、受け入れることは無理でしょうね。
白装束を身にまとった白都真理が、クライマックスで血しぶきを浴びながら延々と殺戮を繰り返す場面は、インパクトが半端なく、観る人によっては、トラウマを引き起こすぐらい強烈。
これだけだと、単なるキワモノ映画になってしまうけど、映像的表現でバイオオレンスをファンタジーへ見事に昇華させたことによって、伝説となり、今でも根強い人気があるのがよくわかる。
そんな『人魚伝説』のあらすじと感想をご紹介します。
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あらすじ
佐伯啓介(江藤潤)とみぎわ(白戸真理)は夫婦でアワビ漁を営んでいた。
啓介が船を操縦し、みぎわが海女として潜っている。
宮本輝正(青木義明)は、町の有力者で、この小さな港町に巨大レジャー施設の建設を目論んでいた。
レジャー施設の話を聞いた啓介は、スナックで不満をぶちまけ酔いつぶれてしまいます。
泥酔状態になった啓介を抱え、みぎわの自宅に送り届けたのが、宮本輝正の息子祥平(清水健太郎)であった。
ある晩啓介は自分の船で沖へ出ていたところ、釣り人が海上で舟ごと爆破される様子を目にする。次の日の朝、啓介は海上で舟が爆破された話を周りにするも誰も取り言ってはもらえなかった。
宮本は表向きはレジャー施設の建設と町中に話をしていたが、本当は原子力発電所の建設を、電力会社と地元議員らによって計画が進められていた。
啓介は爆撃を受けた付近から遺体が上がらず、事件が明るみにならないことに不審に思い、妻のみぎわと一緒に現場へ行き、真相をさぐるろうとする。
みぎわは海に潜って遺体を探すが、海上で音がしたかと思うと間もなくして、舟の上で命綱を握っているはずの啓介がモリで射抜かれ、みぎわの目の前を海底に沈んでいく姿を見て呆然とする。
そして、海面からみぎわを目掛けてモリが撃ちこまれる。
腕を負傷し、命綱が岩の角で切断され、断崖下の岩場に打ち上げられ、辛うじて命拾いをした。祥平に連絡するも自分が夫殺しの犯人とされていることを知り、助けを求める。
祥平はみぎわを連れて対岸の島へ渡り、馴染みのスナックのママ・夏子(宮下順子)に彼女をかくまってもらうことにした。
この島は、歓楽街だけの駐在所がいない小さな島だが、近々宮本たちが原発建設の関係者を引き連れて宴会をしにやってくることをみぎわは知る。
夏子に自分も宴会に使ってほしいと頼み、ホステスとして出たみぎわは、言い寄ってきた男(清水宏)と部屋に入り、啓介の事故について探りを入れる。
彼の話によると、啓介が殺されたのは、原発建設における口封じのために、巻き添えをくったこと真相を知る。
しかしその男は、祥平に頼まれて、みぎわを殺すために近づいた。
必死に抵抗し、帯で男の首を絞めるが、力づくで抵抗され、男が持っていたナイフを奪い、刺し殺し逃げます。
そして、宮本の家に潜入し、プールの中で宮本を溺死させる。
それから啓介の葬儀をしていたところ、祥平たちがトラックで乗り込んできてみぎわは、彼らに捕えられ網にくるまれて崖から海に落とされてしまう。
海底に沈みながら絡まる網をほどき、打ち上げられたみぎわと一緒に白骨化した啓介の遺体が絡まっていた。
このことによって、みぎわは啓介の復讐を誓います。
海辺の展望塔で、原発建設の記念パーティが開かれている。
受付をしている祥平を目にしたみぎわは、ためらわずに殺害する。そして、パーティ会場に殴り込むと、片っ端から関係者をモリで突き刺していく。
みぎわは、返り血を浴びながらも、阿修羅のごとく壮絶な殺戮を続ける。
機動隊が駆けつけてくるが、みぎわが呼び寄せたかのような突然の嵐によってなぎ倒され、みぎわは海に飛び込み、姿を消す。
復讐劇を題材にした映画の最高峰
原発を巡る巨大な陰謀に夫が巻き込まれて殺害され、殺しの濡れ衣を着せられた海女が復讐に挑む!
この、主人公が海女という設定も最強。
たくさんの印象的な場面が積み重なって、クライマックスにおけるの大殺戮へと導いていくんだけど、そこに至る経緯が全く不自然さを感じさせないところが凄いですね。
確かに、強引な部分がないとはいえないけど、そんなことを蹴散らすパワーが暴走して圧倒させる。
原発に関係している人物以外も殺しまくるが全く不快な感じがしない。それぐらい見てる側にみぎわに対する共感部分がちゃんと与えているから。
これは復讐劇を題材にした映画で最も重要な要素です。
殺すという行為に共感できないと、単なるありふれた殺人にすぎない。
復讐じゃ無ければ、殺される描写に満足感は得られない。
そうして迎える、クライマックスの襲撃シーンは、阿修羅が乗り移ったかのような形相で、迫る白戸真理の演技と彼女を捉えた長回し撮影が、臨場感や常軌を逸した破綻状況が異常なほど倍増しています。
映像に神が取り付いた感じを受ける。
だから最後、突然暴風雨になっても、なんだか納得してしまう。
復讐をやり遂げて、海女に戻ったみぎわが、人魚みたいに全裸で楽しそうに海中を泳いでいるラストシーンの何という神々しさ!
まさに、神映画です。
[映画]伝説のカルト映画『人魚伝説』が初ブルーレイ化!舞台は故・池田敏春監督の遺体が発見された志摩 http://t.co/DxoGlU2WtB pic.twitter.com/kEujDQwaYl
— シネマトゥデイ (@cinematoday) 2014年10月19日
水の描写が過剰に表現されている
本作はとにかく、水が過剰なまでに表現されている。
それを意識して、「水」の描写が多い。
言うまでも無く、これは批判じゃない。
冒頭の水中撮影による美しさから始まり、旦那の死体が海底に沈んでくる流れがたまらない。旦那の仇である宮本の家に潜入し、プールに溺死させ、しかも雨が降っている懲りよう。
追いかけられて、防波堤から海に飛び込んで泳いで逃げる。みぎわが タイトル通り人魚と同じように、水を自在に操る姿が美しい。
一度葬られた女の原点が、「海」であって、「旦那の死体」と偶然再会することで、復讐に駆り立てる展開は興奮せざるを得ない。
海中のシーンが現れるごとに、自分が映画の中に溶け込んで、リラックスして浸透していく心地になる。
海面へと昇天していく感じがして、不思議な気分を味わうことができる。