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『塔の上のラプンツェル』ゴーテルはいい人じゃないし、愛情もない!?

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ネタバレ含みますので、ご注意ください。

『塔の上のラプンツェル』は、親の洗脳を自ら解き放ち自立していくという物語。

『毒親』によって、自己肯定感を下げられ、自信が持てずに新たな世界に踏み込めないでいる人がもっているリアルな感情が決して薄っぺらくもないし、ラプンツェルに感情移入することももできて、素直に感動できる内容でした。

そんなラプンツェルを塔に閉じ込め、洗脳していたのが母親のゴーテル。

自分の欲望のために、赤ちゃんであったラプンツェルをさらったとんでもない女ですが、最後は塔の上から転落死したことで「かわいそう」といった意見もあり、なんでそのような感情になるのかを考察してみました。

この記事を見てわかること

・ゴーテルがラプンツェルに愛情を持っていない理由
・ゴーテルは心理操作に長けたサイコパス

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ゴーテルは毒親です

『塔の上のラプンツェル』は、毒親によって監禁された状況に気づいて立ち向かい決別をする話だと解釈しました。

ゴーテルは、いつまでも自分の若さを保ちたいために、魔法の髪を持っているラプンツェルを誘拐して自分の娘として育てた女。

時折ラプンツェルを愛しているかのような態度を示していると、本当なのかと疑ってしまう。

ゴーテルがラプンツェルに「お母様はあなたの味方よ」と歌いながら愛情表現を示すシーンは、一見すると微笑ましくもあるがよく見ると、やたらとラプンツェルの「髪の毛」を触ったり撫でたりといった独占欲が垣間見れて怖い。

言動からいって、これ完全に毒親です。実際に、このような親に育てられると、自己肯定感を下げられて苦しんでいる人も多いと聞きます。

ゴーテルは自分の都合でラプンツェルを管理している。このような負の環境に置かれているので、いつもゴーテルの機嫌を伺いながら生活をしているラプンツェルの心は常に情緒不安定な印象。

例えば、完全にゴーテルから逃げるチャンスがあったのにも関わらず、外の恐怖に触れて怖気づいてしまい 、また塔に戻ってしまう。

その後、ゴーテルが本当の母でないと気づき洗脳が説かれるわけだけど、愛するフリンを助けるために格闘した結果、ゴーテルが窓から落ちる際、ラプンツェルが無意識に手を伸ばす仕草は、とても闇が深くて洗脳の怖さをリアルに表現してますね。

ゴーテルはラプンツェルに愛情はもっていない

観る人によって作品の捉え方は色々あるのはわかるけど、どう理屈をつけても、ゴーテルはラプンツェルに対して愛情は持っていないと思えてならない。

ゴーテルは生後間もないラプンツェルを誘拐し、幽閉に近い形で監禁して、外に出さないようにいいくるめ塔の中に閉じ込めています。

ゴーテルの目的は、ラプンツェルの髪に秘められた力を利用して、若さと美しさを保つこと。

そのために、ラプンツェルを18年間育て利用してきた。

表向きは、ラプンツェルの趣味や好物を与え愛情を注いているかのように見えるけど、ただ髪の力を利用する為の目的であれば、もっと酷い扱いを受けていたとゴーテルを養護する考えが意外と多いことに驚く。

なんで、あれが愛情に見えてしまうのか。

ゴーテルがラプンツェルに対して行った行為は、「お前は世間を知らないから外に出てはダメ』と一方的に決めつけ、自立心を完全に奪い、人格否定をしながら育てているので、愛情がないのはハッキリ見て取れる。

どうみても、自分の私利私欲のためだけの都合のいい道具扱いだし、人間としてちゃんと見ていない気がしてならない。

このような親は外面がよいので、仲良し親子に見えてしまう。リアルに同じような親が多いので、当事者が観ると自己弁護したくなるのかなぁ。

実の親から誘拐して、長い間監禁していることは、間違いなく犯罪者です。

それだけ、本質を見抜けないで思考が停止状態になっている人が多いってことも問題だし、作品のテーマとして言いたいことなんだろうなぁーと感じる。

ゴーテルとラプンツェルの関係

ゴーテルは自らの利益を優先して、ラプンツェルに自分だけが理解者だと偽ってきました。

たしかに18年間育てはしたけど、教育は一切していない。

世間一般でとらえる親とは、ただ衣食住を与えるだけではなく、社会で生きていくための一般常識や知恵、他人を労わる感謝の気持ちなどを与えなくてはならない。

幼い時から、自分だけが善人だと言い聞かせ、それ以外の人間はすべて悪人であると親から言われ続けると潜在意識として残り、親の言いなりで行動するようになってしまい、自分の意見が持てない状況。

社会常識を間違って解釈して教えた上に、18年も軟禁したのです。に言わせれば、ゴーテルはラプンツェルに虐待しているのと同じ。

ゴーテルがしたのは、ラプンツェルを花に見立て綺麗に咲かせるために、水を与え日光にあてて、様子を見ながら肥料を入れたに過ぎない。

この花とは、ラプンツェルの髪に宿っている魔法の力。そのため、永遠に若さを供給することができるラプンツェルを乱暴に扱う訳にはいかないのです。

綺麗な花を咲かせるためにはお金と労力がいるように、魔法の力を独り占めするために、仕事と割り切ってラプンツェルの面倒を見ていたというだけの話です。

要は親子の関係というのではなく、ただ事務処理をこなすドライな関係でしかない。

ゴーテルは心理操作に長けたサイコパスです

ラプンツェルは成長するにつれ、外の世界に興味を示めします。

ゴーテルはラプンツェルに「世間知らずなお嬢様なのでひとりは生きていけない」と自尊心を傷つけ、「外は怖いところなのよ」と恐怖をあおり、「あなたを愛しているから言ってるのよ」と愛情表現をし、なだめすかして何とか塔につなぎとめようとします。

人は他人から心理操作をされてしまうと、無意識レベルでそれを自覚し気付かない状況に陥ります。

しかし、ラプンツェルは外に出た際に手にしたハンカチを見ているうちに、そこに描かれていた紋章がなんと彼女が趣味で塔の天井に取り入れているものと偶然にも一致していることに気づき記憶を目覚めさせるキッカケとなります。

これまでは、常にゴーテルの顔色を見ながらもごもごと喋る癖がついてしまっていたが、記憶を取り戻したラプンツェルは自信の無さが一転して、ハッキリとゴーテルを拒絶します。

このときがまさにゴーテルとラプンツェルの関係が完全に消滅した瞬間でもあります。

ラプンツェルは、潜在意識でゴーテルのことを恐怖に感じていたのは間違いないですね。ゴーテルによる恐怖を植え付けた賜物でしかありません。

最後ゴーテルは塔の上から落ちて、死んでしまうのは、「悪は滅びる」というメッセージでもありますが、それと同時に、「他人における心理操作が行き過ぎてしまった先に待ちうける結末」とも受けとめることができます。

まとめ

ゴーテルに関する個人的な主観をまとめて考察をしました。

ゴーテルが、ラプンツェルを邪険にせず、大事に育ててきたのはすべて自分のためです。

例えば、Amazonで欲しい商品があり購入しようとしたら在庫切れ。あなたはどうしても手に入れたい商品なので、ネットで探したりまたは店舗に足を運んだりと行動を起こしますよね?

自分にとって大事なことであれば、そりゃ面倒でもスープを作ったりするし、近くにない絵の具も買いに行ったりしますよ。

つまりゴーテルにとってラプンツェルは、自分の欲望を満たす存在でしかないということです

残念ながら、そこには愛情はないです。

ゴーテルを通して考察していくと、親子間の悩みが浮き彫りとなって、とても深いメッセージが込められていると感じます。

そこを踏まえたうえで、また鑑賞してもらえれば幸いです。

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